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長尾周二のヨーロッパ放浪記 に参加中!
フランス、ロワール川に面したマダムフランソワーズ・イカールさんの館で早朝目が覚めました。梟が直ぐ横の木で鳴いていました。起きて窓からロワール川を望と川面には月が揺らめいていました。

もう一度ベッドに入り休んで居ると高橋秀夫さんのお嬢様から、秀夫さんが先日突然亡くなられたと連絡が有りました。

高橋秀夫さん通称秀さん。私の人生で衝撃的な出会いの人でもあります。

今、ヨーロッパで活動しているのも彼の影響が多分に有ります。

70年安保闘争前後、昭和45年私が18才の時トヨタ系セントラル自工デザイン課に入社した際に直接の上司〔当時係長〕でした。
既に初代トヨタカローラスプリンターや初代トヨタクラウンハードトップをデザインして一番粋の良い年齢の時でした。
日本美術を徹底的に研究、その源は日本人しか出来ないオリジナリティーが高く世界に通用するデザインでした。

彼のデザインで日産自動車を抜き世界のトヨタとなる礎を築いた人でも有ります。
鉄は熱い時に打てと言いますが猛烈な社員教育でトヨタイズム+高橋イズムを徹底的にたたき込まれました。
230時間残業を経験した事でもその事がお分り頂けると思います。日曜祭日なし毎日深夜までたたき込まれました。徹夜の作業は当たり前、随分無理難題をさせられた物です。

二年間在籍の後デザインではなく純芸術の道を進む為に退社しまさたがその際、君とは一生付き合うよと今日に至って居ます。

予備校経営時代も勤務中に来て頂いて学生に指導して頂いたものです。
先ず教室に入る前から日本酒を飲み生徒にも言いたい放題、あの当時の生徒は本当に幸せ者だと思います。その後、東京多摩美術学院卒業の学生から4人トヨタ系セントラル自工デザイン課に採用して頂きました。

〔現在セントラル自工のデザイン課は関東自工のデザイン課と統合〕
ま、今でも信じられませんでしょうが退社した後も会社に遊びに行くとデザイン室に入室させて頂きました。〔担当重役以外入室禁止〕
ある時モデルルームに入るとトヨタ自動車では生産していないサイズの車、軽四でした。高橋さんにダイハツミラ?と訪ねると頷いて居ました。ダイハツと提携報道がある3年前の事だったと思います。

ある時はハチャメチャである時は緻密な計算をし周りを翻弄させなが楽しませて下さいました。NHKテレビプロジェクトX出演依頼が有った際もそんな柄じゃないとお断りしていました。

セントラル自工で新卒求人募集を兼ねて四国九州の学校回りをした事が有りましたがそこでも同様に求人に行ったのやら遊びに行ったのやら各学校の私が親しくしていた先生方と懇親会と為った事を思い出します。

今年、ヨーロッパ出発前にお会いする約束をしていましたが私が大病をして入院、お会いする事なく旅立ちました。
我慢強く粘り強い秀さんだからこそ疲れても体調が悪くても介護を続けて居たのが命取りに為ったのだと思います。

今、ロワール地方世界遺産群のシャトーボガールで個展開催中です。
高橋さんに話してた夢が実現しました。
その報告がこんな形での報告に為ったのはとても残念でなりません。