ブログネタ
長尾周二のヨーロッパ放浪記 に参加中!
水彩画家・長尾周二・作品写真110916
私がトヨタ系セントラル自工デザイン課を退社した後画塾を東京都日野市のアトリエで始めました。銀座で毎年個展を開催し画業にも励んで居ました。
同じ町内に住んでいらっしゃった出水先生の紹介で小島善太郎先生と出会いました。
当時未だ24、25歳だったと思います。

又、美術評論家の植村鷹千代先生とも親交が有り二度ヨーロッパ旅行を御一緒させて頂きました。
度々百草園のアトリエを訊ねてParis時代の話や愛弟子が若くして亡くなった話などお伺いしていると益々先生が好きに為り、私が主宰する聖蹟桜ヶ丘の美術予備校にも来て頂き芸術家の卵の作品も講評して頂きました。

今、滞欧五年目です。先生との親交を思い出しながらフランス・ロワールで文章を書いています。

その後小島善太郎美術館建設の話が八王子市や日野市青梅市で持ち上がって居たのですが様々な問題が有り進んで居ませんでした。
八王子市の話は新藤先生にお聴きし、日野市は当時の市会議員議長から青梅市は善太郎後援会長からお聴きしました。
最終的に青梅市市長と植村鷹千代先生との会合をセットし美術館建設が決まりました。
公的機関が個人美術館を建設する前例が無かったので小島善太郎美術館が全国初の事でした。

その後は皆さん御承知の通り全国にです。
当時の青梅市市長は議会は私に任せて下さいと英断し植村鷹千代先生も全面的に後押しをして頂いて建設に至りました。
美術館建設記念展も銀座ミキモトギャラリーで支配人の小林さんにお願いし開催しました。

未だ28歳の若僧でしたが志が有れば叶うことを体験させて頂きました。

先生の作品で村の子供は依頼を請け買い戻しに行った事や展覧会作品の額縁を銀座古径にお願いした事、美術館建設記念図録のネガは私が保管して居る事等も懐かしく思い出されます。

あれから30年以上経ったのですね。

今日も40号を描いて次の作品の構想を練って居ます。
あの激しい烈火の如く小島善太郎を思い出しながら記しました。

最後に
「君、 画を描きたまえ!」
直立不動で二回に渡、檄を頂きました。