ブログネタ
長尾周二のヨーロッパ放浪記 に参加中!
水彩画家・長尾周二160729
教会の入り口のドアが全て開かれて居てパイプオルガンの演奏がされて居ました。
時間はたっぷり有るので聞いて居ました。どうやら若い音楽家がレッスンの為に学ぶ為の様です。信者も居なくは無いのですが数人祈りを捧げて居ました。

教会の中に牧師さんに悩みを聞いて貰う小屋の様な物が在りますよね。この大聖堂にも何ヵ所か設置されています。中に牧師さんが居る時は赤い小さな灯りが点 る仕掛けに為って居ました。今日はそうした日の様で何人か信者が小屋で待って居る牧師に懺悔とか相談をして居る様子を初めて見ました。

現代社会ではお寺や教会は冠婚葬祭しか関わらないのが流れです。しかし北欧の小さな村では朝夕教会の墓地に先祖を訪ねて居る風景を見ました。
約やかな日常生活です。この大聖堂の様なきらびやかなフレスコ画やステンドグラス、大きな祭壇に彫刻は有りません。私は人間の欲望の果ての遺物の様に思い ます。多民族をどんな殺戮しても救われるとかこの宗教を拝まないから不幸が訪れるとか今でも新興宗教も含め言われて居ますがそんな事で幸せを感じるので有 ればこんな楽な事は有りません。

こうした権力の象徴を見ると多民族や住民を騙して得たお金で出来上がって居ると思えて為りません。共産主義もそうした考え方が有っても良いと思わせられますが現実の共産主義国家は権力を把握する為に在って現在では最も弾圧下にあり悲惨な生活をして居るのが現実です。

私は少しの生きる為の糧は必要だと思いますが際限の無い欲望に付き合う気は有りません。
何故ならこんに立派な教会に眠る人も路傍で倒れて亡くなる人も死んで仕舞えば皆同じだと思って居ます。生きて居る間に何をすべきかが大切と考えます。口を 開けばお金、そんなに溜め込んで何の為に使うの?と私は考えます。カビの生えたパンよりは美味しいディナーが良いとは思いますがそんな事に生き甲斐は感じ ません。

ただ言える事は人の為にと言うは簡単ですが実際に人の為に実践して居る方を見るとそのご苦労は心に染みます。