2020年10月
安中市の旧松井田西中学校に帰って来ました。
新しい立体作品が加わりました。
喜屋武貞男先生の作品です。
四国に向かう前に銀座に寄贈作品を取りに行って来ました。
先生は1936年生まれ東京芸術大学卒 造形作家として活躍なさって居ます。
ミュウゼとしての充実が増してきました。未だミュウゼの名前も付いて居ませんが廃校美術館で検索すると新聞社の記事が掲載されて居ます。
そうした事も有り収蔵作品の充実して来た事に大変喜んで居ます。
ネットでも収蔵作品を紹介したいと思って居ます。
ミュウゼに帰ってする事は先ず掃除です。桜の落ち葉が積もって居ます。
亡くなった母が大きな家は掃除が大変と話して居ましたが学校跡も同様に掃除が大変です。
花壇のミニトマトがたわわに実り早速10個位摘んで頂きました。
猿は私が留守中にはイタズラして居ない様でした。
午後から安中市市役所にお伺いして長野県小川村の個展や愛媛県松山市フランス様式の萬翠荘築100年記念事業、高松市での活動を報告して来ました。
帰って来ましたが現在長野県小川村で個展開催中ですので疲れが取れれば会場に向かいたいと思って居ます。
高松に着いてからも相変わらず忙しくして居ます。
四国高松市でも美術館館長や美術館の学芸員、学校の校長友人知人とお会いしました。
活動が広がる様にと常に情報交換して居ます。
代議士の事務所も訪ねて居ます。違った意味の情報が得られますからね。
そうした行動は日仏文化交流展やアーティストの為に少しでもお役に立てばと活動して居ます。
快晴で夕陽が綺麗な日は会食して居たりで思う様に写生が進んで居ません。
海岸や丘に暫く立ちスケッチブックを広げるか否か迷った時も有りましたが予報が悪く叶いませんでした。
この後名古屋経由で長野県小川村に向かいます。
安城市に住んでる息子の住所に戸籍が有りますのでそうした事務手続きを終わらせて向かいます。ですから月曜日以降になると思います。
旧松井田西中学校跡地での仮設美術館の名前や収蔵作品の整理、ネットでの展示等を息子と相談して進めたいと思って居ます。既に作品が寄贈されたり所蔵して居る作品もそれなりに有りますので今後を見据えて形にしたいと思って居ます。
2021年6月 愛媛県美術館でのパリを目指した画家展の打ち合わせ
愛媛県松山市に来たのには訳が有ります。
2022年松山城下に在る重要文化財萬翠荘築100年記念事業を進める為に萬翠荘管理会社WINの社長村上さん萬翠荘支配人近沢さん萬翠荘館長片山さん宮崎さんと打ち合わせを致しました。2022年6月愛媛県美術館と重要文化財萬翠荘を使って日仏文化交流展を開催して萬翠荘築100年をお祝いする一環として進める事を話し合い決定して頂きました。
早速フランスARTEC会長フランソワーズ イカール女史や里山房矢野先生に連絡しました。その他にも多くの関係者がいらっしゃいますので随時案内したいと思って居ます。
数々の事業が複合してのイベントですから早めのスタートが必要と為りました。
そうした事で長野県小川村での個展開催中にも係らず此方を優先して愛媛県に来ました。
この後高松市で用事を済ませて名古屋経由で長野県小川村に向かう予定です。
む!!む 残念でした。佐多岬での釣り!
アジは唐揚げサイズが中心ですが200匹近くは釣れたのではないでしょうか。数えた訳では有りませんがま、大漁でした。
コンロもナイフもワサビや醤油も持って来ませんでしたから宮崎さんの友人達に全て差し上げました。
地元の釣り師はハリス5号を使って居るそうです。
私は長野県小川村の個展が有って所謂防波堤釣りの仕掛けしか持参して居ませんでした。そうした中、突然其れは訪れました。
ウキが沈むと同時にすざましい引きが来ました。
竿が満月の様にしなりました。何とか立ち上がって強烈な引きを耐えました。
しかし2度目の魚が走り出した瞬間3号のハリスが無残にも切れてしまいました。
長年趣味で釣りを楽しんで居ますので3号のハリスなら3.4キロの魚なら何とか釣り上げる事も可能です。
しかしまるで化け物の様な重量感の引きにはどうする事も出来ませんでした。
防波堤でも仕掛けもタックルも真剣に望まないとこうした事になると大反省でした。
釣り上げた魚「アイゴ」御覧下さいこんな魚が釣れる場所ですから3号のハリスでは太刀打ち出来ませんでした。
遊びも真剣に万全を期して臨む事が肝要ですね。
松山市では友人知人とお会いして企画の下準備をしています。明日は松山城内に在る萬翠荘を管理して居る会社の社長とお会い致します。
四国松山市に居ます。
長野県小川村郷土歴史館での展示が終わり四国に向かい走り出しました。
長野県小川村での野宿は天文台が在る標高1000メートルの場所です。
今日も其処から戸隠に走りました。
気になって居た戸隠の鏡池に紅葉を描きに行く為です。
その前日に小川村で写生を続けて居ます。
標高1000メートルともなると紅葉が始まって居ます。
鏡池には午前8時前には着きイーゼルをセットしました。
流石に冷たい冷気が流れて居ました。
途中小雨が降り出し傘を差して絵が濡れない様にして制作しました。
その後日差しが出て来て何と紅葉した背景に虹がでました。観光客やカメラマンは皆さん引き揚げ私と女流カメラマン其れと取材に来て居たテレビ局のカメラマンだけがその光景を目にする事が出来ました。テレビ局のカメラマンも車に帰って居たのですが私が声を掛けて呼び戻してその様子を映像に撮る事が出来ました。
女流カメラマンもズームで撮影して居て気付かなかったそうでレンズを交換して撮影する事が出来たそうで大変喜んでいらっしゃいました。
元来私は少々の雨や雪にはたじろがすやり過ごします。
北海道の在る場所でカメラマンが30人位レンズを向けて夕陽を待って居ましたが黒い雲が西の空を覆ってカメラマンは全員諦めて帰って行きました。
その後海に沈む真っ赤な夕陽が現れて心ゆく迄一人で写生した事が有りました。
勿論カメラマンでもプロフェッショナルは諦めず現場を離れる事はありませんが!