私がトヨタ系セントラル自工「現東北トヨタ」のデザイン課を辞職して画家を志す時に私が所属して居た公募団体の理事として来られた事で出会いました。
その後画伯が公募団体を辞する時に行動を共にして以来の長期に渡ってお付き合いとなりました。
当時植村鷹千代先生「文化勲章選定委員」とも交流があった為植村先生のアドバイスや指示の元動いていました。
若い私でしたが東京芸術大学名誉教授小池岩太郎先生や武蔵野美術大学理事長、トヨタデザイナー高橋秀夫さん等良き先輩達に恵まれて芸術活動をしていました。其の一つが青梅市小島善太郎美術館開設に関わりました。
岡田守巨画伯は画壇のサラブレッドと言われる名家に生まれ戦後前田青邨の弟子となり後に橋本明治の塾頭として画壇を支えました。
そうした経歴を支えたのが植村鷹千代先生でParis展を企画されました。
若輩でしたが岡田守巨画伯の展覧会を支える一端を担ってParisに同行しました。
当時は私がParisで個展を開催するなどとは思いも拠りませんでした。
しかし今と為っては青年期の経験が道標となったと確信して居ます。
その後フランスで出会った人々、日本政府高官等全てが人生を彩る事となりました。
昨日もフランスARTEC会長フランソワーズ イカールさん「お爺様がルーブル美術館館長」から電話がありこの戦争が落ち着いたら日仏の文化交流を再開しましょうと話しました。
そうした活動の原点に為った出会いが岡田守巨画伯です。
作品の山門は法隆寺金堂壁画修復に携わって居た6年間に刻まれた思い出を作品にしたと聞いています。
私の作品はロワール地方ブロァの屋敷入り口の門に絡まって居る藤の花を描いた物です。